寂びたものを美しいと好むのは、質素な暮らしの中で生まれる感性なのか、それとも贅沢を知っているからこそ対極の寂びたものを理解できるのか。熊倉功夫の『日本人のこころのことば 千利休』にそんなようなことが書いてあった。
根津美術館に「雨漏茶碗」がある。しみが滲んで物語を感じる。
黒釉のどっしりとした様子は「黒楽茶碗 銘 ムキ栗」を彷彿させる。
壊れたときは鎹によって生まれ変わる。銘が「鎹」とはなんともストレートである。
繊細な柘榴の唐草模様にしばし時間を忘れて眺めていた。
口造りがゆるやかに歪んでいて柔らかい印象を受ける。こんな平茶碗でお茶を飲んでみたい。抹茶の緑色と相性が良さそうだ。
束蓮文とはいくつかの蓮を束ねた模様のこと。
小さな杯なのにこの貫入が印象的で存在感がある。永遠の阿弥陀籤。
紐が妖怪の手のようでかわいい。
掌で触ったときの肌触りが良さそう。
小舟が勢い良く近づいてくる。どんなに小さくても織部焼の個性は強い。
底に描かれている植物はなんだろう。
その色ですぐに織部焼と分かるが、模様が同じものはないのではないかと思うくらい様々な模様がある。
野々村仁清というと鮮やかな絵付の壺が有名だ。今では当たり前だが、当時彼のように作品に自分の名前を捺した者はいなかった。
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