躙口のある茶室、費隠。隠れて費やす。そう捉えると小林一三(逸翁)らしいように思う。彼は阪急電車、宝塚歌劇団、阪急百貨店などを創業した人物であり、費隠と命名して扁額を書いたのは、元総理大臣の近衛文麿だ。費隠には何か意味があるのかと思い調べたら、費隠通容という臨済宗の禅僧に行き当たったが、この茶室の命名に直接関係があるかどうかは分からない。記念館では民営化について語る小林一三の肉声を聞くことができる。
躙口の前でしゃがんで茶室の中を覗くと、気持ちが切り替わる気がした。蹲踞で禊をして、躙口を躙って中に入るところを想像するだけでも心がすっと落ち着つく。実際は適度な緊張感と亭主の趣向への期待感が湧くのだろうか。茶室に入るときは、余計なものを削ぎ落とした素直な気持ちでありたい。
茶事の終わりに、亭主は躙口から客に挨拶をする。亭主も客も言葉を発せず目礼する。亭主は客が見えなくなるまで見送る。 余情残心。亭主は客が去った茶室でひとり、今日の茶事をあれこれ振り返ってみる。亭主の茶事はまだ終わっていない。
何にても置き付けかへる手離れは
恋しき人にわかるると知れ
利休道歌
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