茶花を見ると心が安らぐ。祖母の茶花に会いたい。アントニオ・タブッキの本に『いつも手遅れ』という短編集があって、そのタイトルを目にする度に、あぁ、私のことだなと感じる。何事も気づいたそのときからどう行動するかが大事ではあるけれど、それまでのことはいくら後悔したところでどうにもならない。私の悔恨の多いことといったら・・・。あの時に戻りたいと思うことはなくても、どうして私はあんなに浅はかだったのか、どうして私は行動しなかったのかと疑問になることがある。後悔があるから今日があって、明日がある。そう思って生きるしかないのかもしれない。
廻り花も花寄せも、いつかずっと先に私も体験できる日がくるといいと思う。廻り花には緊張と楽しみの両方があって、花寄せには調和と同時に差異を表す難しさがある。今夜は茶花をたくさん見られて気持ちがすっきりとした。
床の間に「聚雨不終日」とあった。調べてみると、「飄風は朝を終えず、驟雨は日を終えず」という老子の言葉だった。以下コトバンクから引用する。
「《「老子」23章から》つむじ風が朝の間じゅう吹きつづけることはないし、にわか雨が一日じゅう降りつづけることもない。不自然な出来事は長くは続かないというたとえ。」
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