琳派の鈴木其一をつい最新知って、あー、この人の絵は好きだなぁと毎日のように『鈴木其一 琳派を超えた異才』を眺めている。「椿と楽茶碗と花鋏図」からは茶の湯の静寂と温かさが伝わって何度見てもいい。椿と黒楽茶碗だけでは少しやさしくなりすぎるところを、鋭利な花鋏を手前に描くことできりりと絵全体が締まる。たった今庭先の椿を切ってきたようなみずみずしさを感じる。
千利休の朝顔の逸話を思い出さずにはいられない。彼はたった一輪の朝顔のために、たくさん咲き誇っている朝顏の首を全て切り落としてしまう。床の間に飾るために選ばれた一輪はいかほどに美しかっただろう。残酷である。本当に美しいものはたったひとつしかないということなのか。秀吉へ何か難題を押しつけたかったのか。ひょっとすると利休が見せたかったのは、切り落とされた数々の朝顔のほうだったのかもしれない。不要なものを削ぎ落として、削ぎ落として、削ぎ落として、やっと本来の素の自分が現れる。本来無一物。放下著。本当の自分に出会えるのはいらないものを捨て去ってから。
其一の「朝顔図屏風」が躍動する龍のように見える。こちらは二曲一双のうちの左隻のみ。右隻も揃うと圧倒的な迫力がある。琳派の尾形光琳の「燕子花図屏風」に色や構図が非常に似ている。どちらを見てもため息が出るほどに美しい。利休の庭の朝顔もこんな風に生命力がみなぎって鮮やかだったことだろう。利休も胸が痛んだに違いない。
京都の細見美術館で鈴木其一の展覧があったようだ。気づくの遅すぎて悔しい。あぁ、見に行きたかった。グッズもほしくなるようなものばかり。
0コメント